記録文学としての『緑の牢獄』

(数年放置してましたが、とても良い映画を観ていろいろと書きたくなったので再開です。)

 

 

黄インイク監督の『緑の牢獄』を観てきた。

green-jail.com

 

鑑賞しながら まず最初に感じたのは映像と音の驚くほどの美しさ。

いわゆる普通のドキュメンタリー映画を想定して観にいくと面食らうほどに映像も音も美しい。もちろん過剰に審美的であるというわけでも、登場人物や対象を過度に美化しているわけでもなく、「作品」としてしっかり説得力があり、その説得力の欠かさざる一部として、この美しさがある。

ぜひとも劇場で観ていただきたい作品。

 

以下、観終えていろいろと考えたことがあるので、書き遺しておきたい。特に「ネタばれ」はないと思うけれど、念のためご注意を。

 

ドキュメンタリー映画」?

 まずは技術や手法の側面について。この作品にたいする製作者の態度や「ドキュメンタリー」に対する考え方は作品冒頭の5分ほどの間に雄弁に語られる。短いテロップによる西表の炭鉱についての説明、ストリングスによる重厚なBGM、西表のサウンドスケープ、連続的に切り替わる西表の自然や炭鉱跡のカット、メインキャストである橋間良子さんのセリフと映像、そして幻の様に佇む白い褌姿の青年…。

 まずBGM。いわゆるドキュメンタリー映画の中には、対象に対する解釈を必要以上に操作することを嫌い、BGMなど後からかぶせる音や映像を避けるものが少なからずある*1だが、本作冒頭のBGMは、この作品がそうした一般的な意味での、あるいは狭義での「ドキュメンタリー映画」ではないことをはっきりと告げている。さらに、褌姿の青年が西表の自然の風景の中に淡く映し出されることで、本作がさらに「再現」あるいは「フィクション」の領域にも入り込んでいることを告げている。

 次に、幾度も差し挿まれる炭鉱跡の映像。特段の説明なしに内離島の直後に宇多良炭坑のものが入ったりしており、予備知識がなければ西表島内のどの炭坑なのか判別できないようになっている。こうした描き方のねらいはいろいろあるだろうけれど、この作品が西表の炭鉱をめぐるものでありながらも、それ自体が対象ではない、と主張しているように見える。

 また、主な話し手である橋間良子氏の語りはロングショットで続くことはほぼなく、時には日本語話者に分かる言葉で、時には台湾の言葉で、あるいはその両方を混ぜながら言葉が紡がれる。だがそのことばも、インタビュアーの質問や前後の会話が示さないので、映像や効果音で補完しながら、考えながら見ていかなければならない。

 本作の素晴らしいところは、こうした監督のら製作者側の態度が、決して難解さを弄んだり、謎めいた雰囲気をただ演出するといったものになるのではなく、全体としてとても美しい映像作品になっているところだと思う。

 

 が、同時に、こうしたBGMの挿入や説明の少なさ、インタビューの断片化、そして再現場面の挿入という操作は、「編集」の範疇を明らかに超え出ており、その点において本作は一般的な意味での「ドキュメンタリー映画」ではない。黄監督はひたすら橋間さんの言葉に耳を傾け、そのことばのみで構成された普通の意味でのドキュメンタリー映画を作成することもできたはずだ。それだけでも十分、記録映像として成立し得たはずだ。なぜそうしなかったのだろうか。

 

記録文学」?

これを考える上で引き得る補助線の一つは、再現映像部分の歴史監修者の一人である三木健氏の存在だと思う。三木氏は琉球新報記者でありながら『沖縄・西表炭坑史』をはじめとした多くの書籍を発表している、西表炭鉱研究の第一人者でもある。

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それと同時に、三木氏は、1950~60年代に筑豊で気を吐いた「サークル村」に深くかかわった上野英信とのつながりがある。上野の最晩年の大著『眉屋私記』のきっかけをつくり沖縄での調査を支えたのがこの三木氏なのだ。

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もちろん、『緑の牢獄』の黄監督が上野英信の影響を受けたとはあまり思えないが、それでも、上野英信の「記録文学」を経由すると、黄監督の本作での手法を考えるヒントが得られるように思う。

 では上野の記録文学とは何か。本来であれば上野の作品を紹介・分析しつつ述べたいところだけれど、冗長になってしまうのでやや暴力的にまとめてしまうと、上野の記録文学のだいご味は、そのフィクション性にある、と言えるだろうとわたしは考えている。とりわけ遺作の『眉屋私記』はそれが顕著だ。「記録」と「フィクション」は一見すると相いれない要素に思われるかもしれないが、公的な記録に残されず、まともな研究も保存活動されず、また、その事態の苛烈さから残された関係者も口を噤むという事態を考えてみて欲しい。そんな事態をそれでも残さなければならないのだとしたら、残された手段は想像力の惹起なのではないだろうか。

 「記録」であると同時に「文学」であること。これが上野のテキストの最もスリリングかつ重要な側面なのではないか。思えば、同じ「サークル村」にかかわった石牟礼道子の『苦海浄土』であれ、森崎和江の『からゆきさん』であれ、対象の真実を書き遺すために一定程度の「フィクション」が用いられていた。もちろんこれらは狭義の「記録」や歴史研究の立場からは批判もなされようが、それでも、公的な記録や生半可な言語が取りこぼしがちな、人々の生の細やかな感情や時流に飲まれながらも確かに生きたその強度を、これらの作品はギリギリの形で描出した。それは言葉の使われ方そのものや、「記録」なるものの在り様さえも切り崩そうとする強烈な意思に裏打ちされたものだった。

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 「斤先人の親族による証言」という性格

  しつこいかもしれが、黄監督が上野や森崎、石牟礼の影響を受けている、と論じたいわけではない。それでも、そうした書き手たちの対象に対峙する態度と、黄監督の手法には何か相通じるものがある、と考えたいのだ。

 一つヒントになるのは、本日(4月4日)の上映後のトークで監督が言っていた、「最初は(橋間)おばぁの義父が斤先人であるということが、その意味が、よく分かっていなかった」という言葉だろう。「斤先人」とは、炭鉱経営会社とじっさいに坑内に下りて石炭を掘り出す労働者たちとの間に入る、いわば仲介人で、時には甘言で拐かし、時には借金のカタとして暴力的に、労働力を調達する役割を担う。主人公の橋間良子氏は生まれてすぐ親元から引き離されているし、本人の意志とは関係なく台湾から西表にやってきて、戦後、台湾に戻るが西表に帰ってきて、最後は孤独に西表の土となった女性だ。そういった意味で橋間氏は、本人の責に帰するものではないにせよ、時にはモルヒネ漬けにまでされて苛烈な労働を強いられた労働者たちに、その労働を強いる側の親族なのだ。

 映画と同名の書籍で詳しく書かれている様に、ある程度撮影を進めてからこの事実とその重みに気付いた監督らは歴史調査チームまで作り、人を寄せ付けない西表各地に点在する坑口を探し歩き、また、台湾とのつながりを求めて台湾の炭鉱跡にも行ったりしている。

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 こうした調査研究が奏功し、黄監督らは炭鉱という産業そのものの暗い歴史を知ることとなる。だがそれは同時に、橋間氏の語りが「斤先人の親族」のものであり、これにより部分的な証言にとどまるものであること、語られないことがあることに向き合わなければならない、ということも意味する。

 あくまでも橋間氏こそが主題ではあるが、彼女の生は西表炭鉱と台湾に、その二つのつながの中にある。だから西表炭鉱の炭鉱産業としての全体像を知り描かなければならない、しかし、それは橋間氏の語りを中心に据える限り果たされない…。このジレンマこそがこの『緑の牢獄』とう映画を成立せしめた手法上の特徴の原因になっているのではないだろうか。

 斤先人の娘としての記憶、台湾人としてのアイデンティティ、親から引き離された女性としての思い、産み育てた子どもたちが離れていってしまった寂しさ、故郷の言葉を誰も話さないコミュニティに暮らす孤独、年金暮らしの貧しい老後…こういったものすべてが橋間氏の語りを構成しており、その語りがいきおい断片的にならざるを得ないのは当然だ。そんな橋間氏を愛おしく見つめながら、それでも黄監督らにとって実際に坑道で働き苦しんだ炭坑労働者たちを埒外に放り出しておくこともまた、できなかったのだろう。握手会で交わした会話によれば、フィクション部分はもともと作成する予定はなかったが、撮影をすすめ、調査研究を進めていく上でどうしても入れなければ、と思ったのだという。フィクション部分も、そしてあまりにも美しい映像や音楽、構成も、そうした監督や撮影者の誠実さが結実したものなのではないだろうか。

 

 

 

*1:たとえば王兵の『鉄西区』や『鳳鳴 中国の記憶』はその場の状況や雰囲気をただひたすら再現することに徹しており、エンドロールでさえもBGMがない