人類館について

【備忘録】
知念正真ちねんせいしん戯曲『人類館』を読む/聞く

1903年に実際に大阪での行われた人類学術博覧会に琉球人が「出品」される、という事件を題材にした戯曲。

〜〜〜ネタバレあり〜〜〜
調教師
陳列された男
陳列された女

調教師が皇民化政策を体現している。 
 基本的にはアイヌから琉球人、黒人にいたるあらゆる「人種」を陳列した博覧会の「琉球人」のブースでの出来事だけども、舞台は展覧会場→学校→取調室→精神病院→戦火の沖縄のガマ、とめまぐるしく展開される。
 大和魂の名の下に琉球の男を殴りつけ、女を陵辱しようとするヤマトグチを話す調教師が、最終的には実は琉球人だったことが分かる。
 そこで大円団を迎えるかと思いきや、爆発によって死ぬ。
調教師の死にあせった男は、陳列を見に来る客たちの手前、何とかごまかそうと、調教師を男が陳列されていたところに座らせ、自分は調教師を演じ始める。
そのセリフは冒頭に調教師の言っていたそれと寸分違わず、かくてト書きにあるように「歴史は繰り返し、幕は簡単には降りない」として戯曲は終わる。

 もちろん、最も重要な争点は、ヤマトグチを話し、男と女を散々罵り陵辱した調教師が実は同じ琉球人であり、おかげでこの悪夢に似た「上演」は繰り返され続ける、というこの構造のはらむアレゴリーとしての意味なのであり、さらにはそこでめまぐるしく役割を変える男と調教師の間にあって結局はかわらず「女」でしかなかったこの女性表象をどう理解し評価するか、にあると思われる。

 しかしながら、これが当時の(70年代初頭)沖縄の人々を観客として想定した作品であるということを念頭に置いた上で、これが現代のやまとんちゅである「私」が見たときの効果について考えておきたい。

 最初の調教師の不自然なほどのサディスティックな、琉球人に対する暴力を観ながら、(東京生まれ東京育ちで左派あるいは中道左派の)私はこれはわたしたちやまとんちゅの父もしくは祖父の犯した罪なのだ、と考えながら観ることになる。
 そこには、これを前の代の恥であるとして突き放しながら、同時にその「父」の犯した罪に自己を同化させることで、ナルシスティックかつマゾヒスティックな快楽を感じることになる。つまり、琉球人を打ち据える調教師を「父」と重ねて憎み他者化しつつ、その継承不可能な罪を背負うためにそれに同化する、という感情を抱く。「この罪は私の「父」のものであり、私は直接には継承も引き受けもできないものだ。しかし私はこの罪を引き受けなければならない。それこそ私の責任であり、倫理的ありかたそのものだ」と。

 しかしながら、舞台の最後になって実は調教師も琉球人であったということが、難解なうちなーぐちの台詞からなんとか明らかになってくると、「私」は呆然とせざるを得ない。

 ここで「私」が「倫理的責任」の仮面をかぶって自身の欲望と快楽に耽っていたことが暴露されてしまうのだ。

 そこでは一方的な暴力を振るうというサディスティックな快楽を「調教師=父」に押し付け、その快楽を「罪」という名で一度埋葬(覆い隠すこと)してから、それをひっくるめて自身の「倫理的責任」として引き受ける、という身振りが見出される。そうすることで「私」は「父殺し」と「父の地位の乗っ取り」を倫理的仮面をつけたままエラそうに行うことができたのだ。
 そう、とてもエラそうに。

 こうなってくると読者/観客としての「私」は自身の同一化の対象を完全に失ってしまったことに気づく。
 明示的には3人しかいない芝居の舞台上に、自身の感情移入の対象がいなかったことに気づかされる。つまり、完全な「外部」としての自分の立ち位置に。
 そんな「私」がしぶしぶ認めなければならないのは、結局「倫理的姿勢」でもって観ていたはずの「私」は陳列された男女を見に集まってきた人種主義的な好奇心の具象でしかないあの「観衆たち」であったということ。さらにはその「観衆たち」こそがこの「人類館」を成り立たせている枠組みとしての外部なのであって端的に言って植民地主義的人種主義者なのであるということに「私」が気づかざるをえない、ということ。


なんともすばらしい戯曲でした。
 最近、PoCoやら市民運動やらなんでもいいんだけど、そういった運動にかかわる人たちや知識人の「欲望」をどう考えるか、という問題を抱えていて、そういった意味でもこの作品は示唆に富んだものだった。