他者の自伝 ――ポストコロニアル文学を読む

他者の自伝 ――ポストコロニアル文学を読む

どこかのブログでどなたかが「今後日本でポスコロを研究する上では必読書となるだろう」みたいなことを書いていたけど、本当に同感。
加えて、本書はサイード晩年の「読書差別readism」批判や人文学擁護に対する非常に誠実な応答、もしくは注釈になっているとも言える。

人文学と批評の使命―デモクラシーのために

人文学と批評の使命―デモクラシーのために

イードが晩年、人文主義擁護や文献学擁護、民主主義の擁護をしたことはあまりにも有名だけれども、実はその身振りについて正面切って考察した論考はあまり多くない。ただ、サイードの読者なら、なんとなく整合性や「ああ、そうなるよね」感を持つはず。サイードの一連の著作を読んできている読者なら、度肝を抜かれた、などとは思わないはず。
でも、むしろだからこそ、正面切って論じられることが少ない。

中井さん初の単著である本書は、サイードをメインにしたものではないけども、それでもサイードを大きく扱った章の名前が本の表題になっていることからも、サイードの重要性が伺われる。この本全体を通してサイードがそこかしこに居るように感じられるのは、私だけかな?

最近、「自伝」というジャンルは「ライフライティング」と呼ばれる動きと連動して、活発な議論を呼んでいる。
自伝/ライフライティング/証言 といったテクストは文字テクストに限らず、これからさらに重要性を増す分野だと思う。

「戦争の/難民の/自伝の世紀」が終わっったことになっているけども。

加えるなら、「映像の世紀」でもあったわけで。

そういった意味で、映画も面白いと思う。

SHOAH』論で盛り上がった「証言論」はそろそろ「自伝/ライフライティング論」と比較考察されてもいい時期に来ているんではなかろか?