3.11を越えて於国立佐野書院  極・私的まとめ

やっぱり、一回まとめてから動こう。

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(正直、山内さんの報告や赤坂先生の語りは、こちらとしてはただもう呆然として聞き入るしかない強度があり、率直には「言葉にならない」という感想が先に来た。だが、そういったもはや常套句ともいえる言語化の困難を越えて、鼎談の方々には「現在の不十分どころか大きく歪曲された報道では伝えられない・考察されない事柄を今日は語るのだ」との意気込みがあったのだから、それを聞かせてもらった者としても言語化・発信が責務になるのだろう、と思った。そんなわけで、以下、極私的ではあるけども、上記シンポジウムの私なりのまとめと雑感。お暇でしたらご参考に。ただ、言うまでもありませんが全ての文責は鼎談者ではなく、このブログの筆者(西)にあります。ご意見、文句、投石等はnomorelines'at'hotmail.com ('at'=@)までお願いします。)
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鼎談者 赤坂憲雄さん 小熊英二さん 山内明美さん
第1部
 山内さんの宮城県三陸町の現場レポートで開始。報道で何度も眼にする「瓦礫の山」とはちがった、経験としての被災地が、写真と映像とともに報告される。
 赤坂さんは、まず最初の印象として「植民地としての東北」を垣間見させられた、と印象を語った。これは新たな「東北」の位置づけではなく日本の歴史の中で繰り返され、その後漠然と解消されていた思われた旧態然とした、既視感にも似た感覚だった、とも。これは間違いなく今までの、そして現在の日本が抱える「構造」そのものの露見である。さらに、何度も被災地を訪れ旧知の友人を見ていて「現場」とは何かつよく考えさせられたと語っていたのが印象的だった。「現場」の声はもちろん何よりも重要でその尊重なくして再生・復興があり得ないのは言うまでもないが、しかし現場の声が常に正しいとは限らない。「現場」の外にいるからこそ見える・できることがあるだろう、と。
 小熊英二さんは明確に3点。
 1.主要メディアで流通している「知識人」の言葉について。彼らは皆一応に「これは日本の大きな転換点」と述べているが、その議論の内実はそれぞれが今まで述べてきたことの繰り返しあるいは強調であり、「変革・変化」の不可避性を語る言説そのものがそういった変化を志向していない。これではこれまでの支配的な言説が大きく変わるなどとは到底考えられない。
 2.一枚岩的ではない「被災地」いくつかの被災地に入ったが、どこもその被害状況や復興への動きが異なっており、一様に「被災地」としてくくれるほど単純ではない。また、それぞれの地域の中でも経済的位置づけの異なる箇所があり、それを捨象した復興支援は端的に無意味。
 3.分断されたニッポン。いくつかの反原発デモや代替エネルギー開発を求めるデモもに行ったが、それぞれ要求・提案内容は異なっており、ここのデモで担い手の階級的違いが目立った。今回の震災へのリアクションとしてこれらの政治的示威行動を考える際にはこの分断を無視できない。


第2部
 小熊さんが、これまでの日本の開発計画を特に「全国総合開発」を軸に簡単に解説。これは、太平洋ベルトへの一極集中の解決を目指すという通呈した目的のもとに1962, 1969,1977, 1987, 1998と五回に渡って行われたもの。特定の地方都市を指定した上での交通網の整備や、公共投資、地方空港開発の乱発さらにはリゾート地としての開発を経て、結局はどれも決定的な一極集中/地方の過疎化解決とはならなかった。1998を除けばどれも高度経済成長やバブルなど政府の大きな財源とばら撒きを前提としていた。これが1998には事実上放棄され、これまでの開発投資型とは一線を画し、独自な発展構想の「呼びかけ」というものになった。これは政府が率先して日本国土の均等発展の推奨を放棄したとも考えられるもので、過疎化・経済的落ち込みの止まらない東北としては切り捨てつつの生産者・供給者としての自己確立を意味した。
 以上のこれまでの流れの上で今回の震災が起きたのであり、震災からの「復興」は神戸の時のような楽観論をさしはさむ余地はあまりない、と考えざるを得ない。これまでの開発型あるいは生産者化とは全くちがう計画がなされるべき←コレは私の意見かも。
 このまとめを踏まえて赤坂さんが、東北の地を新しい自然エネルギー開発と放射線除去にかかわる学問の発信地として開発しよう、との提言を発表。これは政府主導の「復興構想会議」で述べられたものでココ(http://www.cas.go.jp/jp/fukkou/pdf/kousou3/akasaka.pdf)で全文を読むことができる。ちなみに、会議での反応はそれほど悪くはなかったそうだが、メディアでは完全に黙殺された、と仰っていた。

山内さんは、さらに、福島の原発は小熊さんが整理したような政治的社会的流れの中で作り上げられたものであり、そういった意味では沖縄の米軍基地や水俣問題などと切り離して論じることはできない。これをただの「震災」では終わらせることはできない、とした。

さらに、福島第1原発を中心とした同心円状の「被災」区域模式図は、広島や長崎の「爆心地」図を露骨に想起させるものだ、との提起をした。今回と同様に広島でも風向きや土壌の性質などから、汚染地域はまだら上に広がり、決して同心円で描けるものではなかった。だが「便宜的に」使用した同心円が結局は固定的なイメージとなり、結果として風評被害や、同心円外への補償の出し渋りなどを生んだという。今回の同心円図も、実際には複雑にまだら状に広がったホットスポットを無視し、汚染飛散の限定的イメージを付与することになっている。またこれは同時に、風向きの関係から、相対的に見て必ずしも避難の必要がない地域へも避難を強制したり、逆に値の大きい大都市(福島市など)のリスクを軽視することにつながっている。もっとモニタリングポストを用意し、形式的ではない細かい測定値に即した対応策を早急に行う必要がある。

他にもいろいろあったけど、とりあえずここで。

フロアから
 在日外国人の視点の必要性。
 ナショナリズムを視点に加えるべきでは などなど 途中で帰ってしまいましたので、これ以降は知りません。




感想・雑感
 それぞれの鼎談者が見事に自分の役割を自覚して言葉を発するので、議論は多様ながらも全く煩雑にならない、すばらしいシンポジウムだった。
 歴史的背景を踏まえたうえで、これからの「東北」の復興(復旧?再生?ふさわしい言葉がまだ自分の中で見つかっていません)はどうあるべきか、という点に議論が絞られていた。
 個人的には、ここでの解説や議論を踏まえた上で、日本の社会構造を、これまでとはちがう形でどう構想したらいいのか、色々思う。おそらく、赤坂さんの全く新しい「フクシマ開発構想」は重要な視座になると思う。


 でも、やっぱり、ちゃんと批判を行いたい。総括を。
そういった意味では、今回のシンポジウムの議論には日本の原発の開発史という視点が加えられるべきだろう(もちろんこれはシンポジウムの不十分さではなく、あくまで「さらに」ということ)。
 現在の東京電力が利権まみれであり、そこに政府そのものも深くかかわっているということはすでに見えてきているが、さらに、ここまでリスクの高い国に原発を乱立させる「核保持への欲望」も議論されるべきだ。冷戦終結による核兵器の縮小化へ向けた動きは、事実上「核」を軸にした地球規模のヒエラルキーの強化でしかなく、「平和利用」との枕詞をまといつつ「核による平和」とは冷戦時のレトリックとなんらかわることがない、という点に注意する必要がある。日本の原発乱立状況と核拡散防止条約の欺瞞を複合的に考察する必要があるだろう。おそらく、この点の分析・批判を抜きにして「代替エネルギーへのシフト」は大きくその歩みを進めることができないのではないだろうか。

ちなみに、メモとして、今回の揺れと原発を考えるうえでの個人的な参照先(=個人的に読み直しリスト)を列挙。
まずはR. Williams。「首都圏」と「東北」の関係性について

田舎と都会

田舎と都会


つぎに、「植民地」構造を可能にした心象地理とアカデミックな言説批判に向けて。サイード

オリエンタリズム 上 (平凡社ライブラリー)

オリエンタリズム 上 (平凡社ライブラリー)

ついでに知識人論も。

知識人とは何か (平凡社ライブラリー)

知識人とは何か (平凡社ライブラリー)

んで、核保持の欲望については以下の第1章の足立さん論文。

モダンガールと植民地的近代――東アジアにおける帝国・資本・ジェンダー

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