レイモンド・ウィリアムズ研究会(二日連続)

もう、久しく告知板になってしまいましたが、告知です。

レイモンド・ウィリアムズ研究会です。二日連続です。…学会か!

ちなみに私は両日ともに、いろいろ喋ります。

ぜひともお越しください。

2013年度第1回 レイモンド・ウィリアムズ研究会
Raymond Williams, The Long Revolutionを読む(2)

レイモンド・ウィリアムズ研究会を開催しますの で、よろしくご参集下さい。

今回は、下記の書籍をテキストといたします。

The Long Revolution

The Long Revolution

  • 作者: Raymond Williams,Anthony Barnett
  • 出版社/メーカー: Parthian Books
  • 発売日: 2012/04/01
  • メディア: ペーパーバック
  • 購入: 1人 クリック: 2回
  • この商品を含むブログを見る
Raymond Williams, The Long Revolution. (Parthian, 2011)
(第1部第2〜3章を読みます)

日時:2013年8月8日(木)12:00〜16:00
場所:関西学院大学大阪梅田キャンパス 1401教室
大阪市北区茶屋町19-19
アプローズタワー14階
(地図については次ページ及び下記リンクをご参照下さい。
http://www.kwansei.ac.jp/kg_hub/access/

12:00〜13:30 第一部第二章(担当:西亮太)
13:30〜14:00 懇談(今後の研究会の活動について)
14:00〜15:30 第一部第三章(担当:大貫隆史)
15:30〜16:00 第一部第一〜三章全体について

参加予定者(アイウエオ順、敬称略):
遠藤不比人(成蹊大学)/大貫隆史(関西学院大学)/川端康雄(日本女
子大学)/鈴木英明(昭和薬科大学)/西亮太(一橋大学・院)


参加予定のリストに入っていない方の参加も歓迎いたします。事前申し込
みは不要です。また会費は無料です。

8日の夜にご宿泊の場合は、梅田キャンパス周辺には複数ホテルがありま
す。隣接のホテル阪急インターナショナル、梅田駅隣接の大阪新阪急ホテ
ルなどが便利です。
梅田キャンパスへのアクセス
連絡先:レイモンド・ウィリアムズ研究会関西
Raymond Williams Kenkyu-kai, Kansai
大貫隆史(関西学院大学商学部
関西学院大学第二教授研究館108研究室

翌日に、合評会もやります。


2013年度第2回 レイモンド・ウィリアムズ研究会 
ワークショップ
モダニズムはいつだったのか――山田雄三『ニューレフトと呼ばれたモダニストたち』を読む


日時:2013年8月9日(金)11:00〜16:00
場所:関西学院大学大阪梅田キャンパス 1001

大阪市北区茶屋町19-19アプローズタワー
(地図については次ページ及び下記リンクをご参照下さい)
http://www.kwansei.ac.jp/kg_hub/access/

11:00-11:15 ワークショップの趣旨について [大貫隆史]
11:15-11:45 コメンタリー(1) [川端康雄]
[11:45-13:00 休憩]
13:00-13:30 コメンタリー(2) [杉本裕代]
13:30-14:00 コメンタリー(3) [西亮太]
14:00-14:30 懇談(今後の企画等について)
14:30-16:00 著者を迎えてのディスカッション
(司会:大貫隆史)

(*当日のコメンタリー、ディスカッションは『レイモンド・ウィリアムズ研究』に収録することを検討しています。)
連絡先:レイモンド・ウィリアムズ研究会関西
Raymond Williams Kenkyu-kai, Kansai
大貫隆史(関西学院大学商学部
関西学院大学第二教授研究館108研究室
梅田キャンパスへのアクセス

9日の夜にご宿泊の場合は、梅田キャンパス周辺には複数ホテル
があります。隣接のホテル阪急インターナショナル、梅田駅隣接
の大阪新阪急ホテルなどが便利です。


ぜひとも。

Cultural Typhoon 2013に出ます

せっかっくなのでこちらでも告知を。
正直、私個人は大した発表ではないですが、一緒にやるパネリストたちがとても刺激的です。
ぜひとも、遊びに来てください。

わたしたちのパネルはこんな感じ。
http://cultural-typhoon.com/2013/panel/14th-july-sun-02/#panel-04
せっかくなので、要旨も。

抵抗の瞬間に立ち現れてしまう主体には、抵抗の対象と敵対的共犯関係を結び排他的暴力を胚胎する危険が常に付きまとう。本パネルでは「戦後」において固定的な関係に絡め取られた自己とは別様の在り方を希求したいくつかの経験を読み直し、その先に生きうる場としての「アジア」を想像する方途を探る。今津有梨は、森崎和江「二つのことば、二つのこころ」における「罪」をめぐる複数の情動について考察し、その変容をメランコリーと喪の内在的な関係性から検討する。松田潤は、1966年に沖縄中部の知花城で自殺した中屋幸吉の遺稿集を取り上げ、遺された者たちにとって「遺稿集を読むということ」が喚起する喪とメランコリーの問題について、主体の変容に着目して考察する。吉田裕は、中野好夫の「沖縄闘争」への参加とその帰結をとりあげ、罪責感という情動とその変容に焦点を当てる。中野のみならず復帰運動を支えた一つのモメントが罪責感だったとしたら、それは「日本人」ないし「沖縄人」という主体の境界画定といかに関連し、ジェンダー的な配置を準備し混乱させていたのかを精査する。西亮太はG. C. スピヴァクの「他なる複数のアジア」を手掛かりに、森崎和江が坑内労働の記憶に触れつつ描き出した「地下の精神」とそこにみられる「東アジア」を考察する。なお本パネルは「世界文学」を再考し、その現状を鳥瞰する本質的拠点として目取真俊を扱うマニュエル・ヤンとの合同パネルとなる。


で、これは同日午前のパネルと連動しております。
http://cultural-typhoon.com/2013/panel/14th-july-sun-01/#panel-06


ちなみに、私の発表はこんな感じです。
イントロ部分だけ、ちらっと。

  「抗いの手前で――「アジア」への/からの脱出」。なぜ、1950〜60年代なのか。私の場合にはこれに70年代が含まれますが、なぜこの時代なのか。そしてなぜ「アジア」なのか。この時代設定に関しては、2011年3月の大震災と原発での事故が大きく影響しています。この震災および事故が露呈させた問題を考えていく上では、原発の導入期である50年代から現在への道すじを、選択されなかったものを含めて改めて検討する必要があると考えました。そしてこれはなぜ「アジア」なのかという問いの応えとも呼応します。原発の日本への導入が冷戦構造下での日米二国間での戦略的関係性と密接に関連していたことを鑑みれば、当時の国境線で区切られた日本という地理的実体を越え出た沖縄、朝鮮半島、中国などが言及されないことは不可能だと言えます。朝鮮戦争を思い起こしておく必要もあるでしょう。ですがわたしたちは、日本の西側に位置する大陸の西岸を除いた地理的実体、という意味でのみ「アジア」を問うことはできません。「アジア」なる語の出自を詳らかにするまでもなく、この記号は常に「中心」から外れたところとして意味付与の対象を構成し、それを「中心」との非対称的な二項対立関係に固定した上で「他者」や「後進地域」あるいは「自然」、さらには「女性性」などといった価値判断や意味、あるいは政治的文化的エクスキューズを自由に付け替える機能を担ってきました。これにさらに、「中心」からの固定的視線を保持したままで抵抗主体としての「アジア」を想起する、政治的には真逆であってもそれまでの関係性を秘密裡に保持したままの、抵抗言説、解放言説を加えても良いかもしれません。
  とはいえ、この「アジア」という語を先ほど説明した事情から、これを完全に棄却すべきだと主張するつもりはありません。このパネル全体に通底することでもあり、また、私の発表では特に強調されることでもあるのですが、むしろ「アジア」を積極的に(必ずしも肯定的にという意味ではありませんが)考えてみたいのです。この慣れ親しんだ「アジア」なる語とそこに付随する政治的文化的機能は、たしかに論理的に考えれば荒唐無稽で手あかにまみれた唾棄すべき遺物なのかもしれません。ですがこの語を拒絶する身振りをして見せたところで、安価な労働力を求めた「アジアへの脱出」が行われている状況も、新移民のエリートたちがネイティヴ・インフォーマントのアウラを携えて世界の「中心」あるいはメトロポリスへ向かって「アジアから脱出」しているという状況も、変わりません。むしろ、今もってその指示機能の乱用が継続される「アジア」なる語を、その意味作用の射程もろとも捨て去るのは、そこで隠蔽され代理表象されているなにがしかを想像する契機を放棄することにはつながりはしないでしょうか。そしてその身振りは安価な労働力に依存する経済構造の隠蔽に加担することになるのではないでしょうか。「アジア」なる記号の担う暴力性への批判が必要なのは疑い得ませんが、その記号自体の廃棄は、それが可能であったとしても、同時にその記号の対象とされるものへと想像力を働かせる基盤をも失うことになりはしないでしょうか。
  本発表では、これまで良かれ悪しかれ慣れ親しんできた「アジア」なる語(これは、繰り返しになりますが地理的実体と連関するものでありつつも、その地理的実体そのものとは区別しておく必要がります)にいくつかの議論を接続することで、少々異常で怪しげな、そして願わくば不気味な「アジア」が立ち上がる可能性を探ります。まずは50年代〜60年代にその幕引きを加速させた炭鉱産業およびそこでの労働運動に深く関わった森崎和江の70年代までの議論を概観し、彼女の議論に見いだせる問題点と可能性を「アジア」を鍵語に整理し、これをグローバリゼーション下の現在において介入の起点とするために、G.C.スピヴァクの議論の助けを借りようと思います。スピヴァクの議論を経由することで、もう一つ、問われるべき問いを考えることができます。なぜ文学作品を扱うのか?これについては発表の最後までにたどり着ければと思います。

理論の「一生」について

明けまして。

から、いきなり去年の話から。

昨年、『石炭の文学史』を上梓された池田さんの勉強会に行ってきた。

(このご著書、あまりにも大著なうえ高額なので貧乏学生兼貧乏講師の私には「高嶺(値)の花」のままで、まだ拝読できていません。以下の勝手なコメントはその上で、講演内容から私が勝手に考えたことを書いています。ご了承ください。)



「炭坑労働と原発労働――「闇の中」の労働の歴史」と銘打たれた刺激的な講座だった。
非常に刺激を受けたので、せっかくだからシェアを。まずは、私の専門とは直接的には関係ないものの、私は重要だと思った池田さんのご指摘を。

原発とその労働に関しては全くの素人なので、石炭の話をします、という前置きから始まった池田さんの口ぶりはそれでも炭鉱労働とそれにかかわる「文化」を語りつつも、まっすぐに原発労働の問題点を見据えたものだった。
例えば、北炭の下(孫?)請けであった労働者調達者たちは、東京駅付近で「蛸釣り」をやったという。
地方で困窮し身一つで上京してきた労働者たちに運賃を「貸し与え」、北炭を割のいい労働現場として紹介する。北炭に到着した労働者たちは「貸し与え」られた事実上の借金に縛られ、奴隷状態で文字通り死ぬまで働かされることになる。これは空腹が至ると自身の足を食べるという蛸の逸話にひっかけた命名なのだが、「自身の労働力以外売るものが無い存在」たる賃労働者の有様とそれを「釣り上げる」様をよく表した表現だと言えるだろう。
これとよく似たリクルート原発作業員調達の現場でよく用いられていたのだと言う。過酷な炭鉱労働に労働力を引き入れそれを最大限に利用するという労務管理方法はすぐれて日本の近代的な労務管理システムであったのであり、それが今現在の日本へも脈々と引き継がれているのだという。
 その事実を体現するのが、池田さんによれば前田一なる人物である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%8D%E7%94%B0%E4%B8%80
戦前は北炭の労務管理で頭角を現し、戦時中は北炭への強制連行を指揮し(注:この部分は私は未確認)、戦後は労働運動と対峙する最前線で活躍し、日本経団連の初代専務理事にまで上り詰めた。前田の存在から炭鉱での労務管理と戦後の労使協調路線、そして現在の雇用問題までに至る強力な補助線が引けるのかもしれない。

 とはいえ、私が最も刺激を受けたのは池田さんの上梓した『石炭の文学史』についてのご発言だった。
 端的に言ってしまえばそれは「なぜ『石炭の…』で、『炭鉱の…』ではないのか」という問いとそれに対する回答に集約できる。一言でいえば、『炭鉱の…』では炭鉱労働の美化とノスタルジアに抗することが難しいし、なによりもそれは「全体」ではないから。「炭鉱」ではなく「石炭」により「全体」を見据える方法として、池田さんが提示するのは「石炭の一生」という視点であり、この論じ方にとても刺激を受けた。
 石炭の一生とは、石炭なるものが生成され採取され流通され消費されその役割を終えさらにはその社会的性質により生み出したものがその後の社会にいかに接続されていくか、までをも含む眩暈を起こすほどの広大な視野を持った視点。だから厳密には古代の植物が炭化する過程をも含むわけだが、池田さんは(当然ながら)人間の手に渡るところから(つまり「一生」の誕生期ではなく、いわば「幼少期」から)議論を始めている。この視点を採用すると、その見るべき範囲は最低限に見積もっても以下の通りとなる。

石炭掘削のロケーションを決める人々(「斤先請負」)から掘進、坑木・枠組み作り、採炭(「先山」の労働)、坑内運搬(「後山」)、選炭・洗炭作業、地上での運搬/ボタ捨て、河川運搬(「川筋者」)/鉄道輸送、荷役(「陸仲仕」)、荷役(「沖仲仕・docker」)、海上輸送、荷役、地上輸送、工場・発電所など、「公害」、後遺症/寄場(大型開発への労働者の移動、原発労働)

石炭の流通でも消費でもない「一生」を追うことにここまで広く社会を見通す構図を描くことができる。
 だが池田さんの慧眼はこの、言ってしまえば大風呂敷」を広げたことにあるのではない。森崎さんが言うように、掴み取るべきは社会存在の向こうに見える「人間」なのではなく、人間そのものとの対自においてこそ浮かび上がるその人間の社会あるいは「全体」である*1。池田さんの慧眼はこの広大な視野を「文学史」でもってとらえ返そうとしたことにこそあるのだと思う。
 これはもちろん「文学(史)」こそが唯一「全体」へ到達できる、と言いたいわけではない。「人間を(想像し)描く」という営為の力強さとそれに対する強烈な信頼感を、ここに感じられるのだ。石炭の一生にかかわった文学を読み解くことは、人の生及びそれと不可分な労働を描くことであり、その固有性こそが社会の「全体」へと跳躍する「等価性」に至る想像力を涵養できるのだと思う。



 この「一生」という視点に刺激を受けて私が夢想しているのは「理論の一生」という視点。さくっと言い換えてしまえばいわゆる「歴史化」に近似したものだと考えているのだけども、それとは幾分かことなったものだと直感している。「直観」、要するにまだ言語化できていない。
 が、例えば抽象度の高い「理論」と個別具体的な「自伝」の関係について考えると、普通の関連性は「理論を理解するために「自伝」あるいは「伝記(的情報)」を参照する」という、あまり好ましくない読み方を想定でいるけども、そうではなくてこの見せかけの抽象度の高さを世俗化し歴史化する上で、理論テクストが必然的に要請する理論の「自伝」を考えられないだろうか。
 たとえばサイードについて。
 『オリエンタリズム』の序文でサイードマルクスの「ブリュメール18日」を引用しているのだが、これはスピヴァクにツッコミを入れられたことが良く知られている。サイードは「表象/代表」の問題をマルクスの議論に則する形では理解し得ていない。要するに「誤読」である、と。この指摘はそのものとしては正当なものだと思う。だが、「誤読」であれ、それを踏み台に跳躍し獲得された「理論」そのものはこの誤謬あるいは瑕疵をもってして完全に棄却されるべきではないだろう。もちろんスピヴァクにもそういった意図はおそらく全くない。だがそれ以上にこの「誤読」が「理論」の生起する瞬間に避けがたく要請されたものであったとしたらどうだろうか。
 サイードは『オリエンタリズム』の序文において、その執筆時期を1975~76年あたりだったと述べているのだが、その前年、サイードは1974年のCommentary誌上においてまさしくこの「代表」に関わる点において「オリエンタリスト」との論戦を行っている。『オリエンタリズム』が一つの「理論」を形成したものであるとするならばその誕生の際にあったこの出来事を考察しておく必要があるのではないだろうか。これを通してこそ、サイードの「アラブ人」あるいは「パレスチナ人」であるという困難を彼個人の経験と彼個人の超人的優秀さにのみ帰することなく、彼の困難を歴史的に位置付け「共有」することが可能になるのではないだろうか。おそらくこれこそが、サイードが「旅する理論」の中でルカーチの物象化論に見出した「苛烈さ」なのではないだろうか。
 「理論」に付きまとう「高い抽象度」、「難解さ」を読み解くことのみに専心するのではなく、そこに見出されるある種の「誤読」や」「誤謬」を「理論」の「一生」に組み入れてこそ、それを歴史に開きつつその苛烈さを読者の現代に召喚することが可能になるのではないだろうか。





的な博論ってアリなのかな…。

*1:詳しくは森崎和江『奈落の神々』を。

またもやお知らせ

相変わらず、お知らせ掲示板になっていますが、どうぞよろしくお願いいたします。

ご参加希望の方は西まで、あるいはコメント欄にてお知らせください。
*****以下、転載*****



レイモンド・ウィリアムズ研究会を開催しますので、よろしくご参集下さい。

日時:2012年12月30日(日)
10:0010:30-18:00

場所:マイスペース 新橋汐留口駅前店2号室(*場所については下記リンクをご参照下さい。
http://standard.navitime.biz/renoir/Spot.act?dnvSpt=S0107.2018

当日のスケジュール
10:30-12:30 
吉見俊哉『夢の原子力――――Atoms for Dream』を読む」(報告者:山口菜穂子)
      
「石油と核の違い――ポストモダンな労働の隠蔽」(報告者:三浦玲一)

12:30-13:30  休憩

13:30-16:30 ウェールズ・ツアー報告
           (西亮太、河野真太郎、大貫隆史)

16:30-18:00 今後の共同研究活動について懇談
(懇談事項:『レイモンド・ウィリアムズ研究』第4号の発行スケジュールについて、その他)

お知らせ Long Revolutions In Wales and Japan

私もお知らせであります。

http://crewswansea.blogspot.co.uk/2012/10/long-revolutions-in-wales-and-japan.html
から
…しっかし、なぜトリなのか…。



2012 mark 50 years since the publication of Raymond Williams’s seminal volume The Long Revolution (republished this year by Parthian Press). On Friday November 2nd, The Burton Centre / CREW, Swansea University, will host a conference at the Dylan Thomas Centre entitled ‘Long Revolutions in Wales and Japan’. The conference is free to Swansea University students and staff and £10 for everyone else. Tickets available from the Dylan Thomas Centre. The event is part of the Dylan Thomas Festival 2013.
http://www.dylanthomas.com/index.cfm?articleid=8653


Richard Burton Centre / CREWRaymond Williams Kenkyu-kai (The Society for Raymond Williams Studies, Japan)JSPS/MEXT Grant-in-Aid for Scientific Research

Long Revolutions in Wales and JapanRaymond Williams in Transit 3
Friday, 2nd November 2012 / Dydd Gwener, Tachwedd 2il, 20129.30 – 4.30

Dylan Thomas Centre


9.30 – 10.00
Opening remarks and thoughts on The Long Revolution.
Daniel Williams


10.00 – 11.00
Fuhito Endo, ‘A Reading of Freud through Williams: an Actual/Affectual Residual and the Long Revolution’
(Chaired by Shintaro Kono)


11.00 - 11. 30 Coffee

11.30 – 12.30
Yasuhiro Kondo, 'Realism in the Long Revolution: A Reading of Raymond Williams's Second Generation'
(Chaired by Takashi Onuki)


12.30 – 1. 30 Lunch,

1.30 – 2.30
Takashi Onuki, ‘A Short Talk: Culture and Society after 3.11’

Kieron Smith, ‘Wales and the BBC’s Long Revolution’
(Chair: Daniel Williams)


2.30 - 3.15
Discussion. The Meaning of the Long Revolution
Chair: Dai Smith
Panelists to include Takashi Onuki, Shinatro Kono, Daniel Williams


3.15 - 3.45
Tea / Coffee


3.45 - 4.45.
Ryota Nishi, 'Writing the Vanishing Mentality of Underground Labourer: Kazue Morisaki and the Structure of Feeling of the Memoirs’
(Chaired by M. Wynn Thomas)


4.45 - 5.00. Closing remarks.


Fuhito Endo, Yasuhiro Kondo, and Ryota Nishi come to Swansea as part of projects supported by JSPS/MEXT Grant-in-Aid for Scientific Research.


Fuhito Endo, Professor, Seikei University Tokyo
Professor Endo is currently staying at the Centre for the History of Psychological Disciplines at University College London as a Visiting Professor. He is now working on the historical/theoretical significance of British female psychoanalysts between the wars.

Yasuhiro Kondo, Lecturer in English, Toyo University
His research interests are in twentieth-century literature and culture in Britain. He wrote an article on the relation between strike and culture.

Shintaro Kono, Associate Professor at the Graduate School of Commerce and Management, Hitotsubashi University. Co-translator of Eqbal Ahmad's Confronting Empire, Fredric Jameson's Cultural Turn, Edward W. Said's Power, Politics, Culture and Culture and Resistance into Japanese.

Ryota Nishi, Graduate Student, Hitosubashi University, and Lecturer in English, Chuo University. His research interests are in Postcolonial Studies, especially in Edward Said.

Takashi Onuki, Associate Professor, Kwansei Gakuin University, Japan
His field of interests is the genealogical approach to culture and society in twentieth-century Britain. He is a co-editor of Cultural History: Affections and Struggles in Britain, 1951-2010 and the works he co-translated include Tony Bennett ‘s New Keyword and Edward Said’s Reflections on Exile.

Dai Smith is the Raymond Williams Chair in Cultural History within CREW which he joined in March 2005. He is also Chair of the Arts Council of Wales. Professor in the History of Wales at Cardiff University 1985 to 1992 and Editor BBC Radio Wales and Head of Programmes (English language) at BBC Wales from 1992 to 2001 when he was appointed Pro-Vice-Chancellor at he University of Glamorgan. He is now Series Editor of the Welsh Assembly Government’s Library of Wales for classic works written in English from or about Wales.

Kieron Smith is a PhD student within CREW at Swansea University. His research is focussing on the films of John Ormond within the context of national broadcasting.

The event is arranged by Daniel Williams, Director of the Richard Burton Centre, Swansea University

The Long Revolution in Wales and Japan’ is the third ‘Raymond Williams in Transit’ sessions, and the third collaboration between Welsh and Japanese academics. The first took place on October 16th, 2009, at a one day conference entitled ‘Raymond Williams in Transit: Wales – Japan’, arranged by CREW (The Centre of Research into the English Literature and Language of Wales) at Swansea University, and supported by the JSPS/MEXT Grant-in-Aid for Scientific Research. September 25th, 2010, saw a follow-up event held at Japan Women’s University, Mejiro Campus entitled ‘Fiction as Criticism / Criticism as a Whole Way of Life’. The conference on September 25th was preceded by a symposium on the 23rd on ‘Raymond Williams in the 1950s’. These events in Japan were hosted by the Raymond Williams Kenkyukai (The Society for Raymond Williams Studies in Japan), with the support of the Faculty of Humanities at Japan Women’s University, and the JSPS/MEXT Grant-in-Aid for Scientific Research. As well as reports on the CREW website, below, Tony Pinkey has written a report on the events in Tokyo on the Raymond Williams society website: http://www.raymondwilliams.co.uk

These events have resulted in two significant publications:
A special issue of Keywords: A Journal of Cultural Materialism

A special issue of Raymond Williams Kenkyu entitled Fiction as Criticism / Criticism as a Whole Way of Life

「精神史」という批評意識 森崎和江を読むために

去年の揺れから、いろいろ経巡った挙句、半年ほど森崎和江(敬称略で失礼します)を読んでいる。

これは原子力発電所の事故と「復興」のありかた双方を考察する上で、「成長・発展」イデオロギーと「エネルギー」の関係、そしてそこでの「労働(者)」の位置付けを戦後あるいはそれ以前まで遡って考察しなおす必要性を痛感したことによる。
とはいえ、このテーマはあまりにも広大で手の付けどころがないので、高度経済成長直前にして石油への「エネルギー革命」によってその座を失した、炭坑産業とそこで生きた炭鉱労働者たちに的をしぼる*1ことにし、そこで紹介されたのが森崎和江だった。

森崎和江の著作は膨大でテーマも多岐にわたり、さらに、今集中的に読んでいる60〜70年代の著作は特に難解なので、自分が理解し得ているとは言い難いけども、お世話になっている研究会で読み進めてきた中で、個人的な興味関心から気になっていることを書き留めておきたい。ただし、今のところ読んでいるのが60〜70年代の著作にほぼ限られているので、そこにしぼって。

そのまえに、ざっくり個人史を。
森崎和江は1927年、朝鮮大邱に生まれ、17歳(1944 )年で単身九州へわたり、1947年福岡県立女子専門学校(現・福岡女子大)を卒業している。1950年に詩誌『母音』の同人に。1958年、筑豊に転居し谷川雁、上野栄信らと『サークル村』を創刊(〜1960年)し、同時に女性交流誌『無名通信』を刊行している。『サークル村』活動から離れた後、『まっくら――女坑夫からの聞き書き』(1961)を皮切りに、70年代までに限定しかつテーマを炭坑と女性に絞っても、主要なもので『非所有の所有――性と階級覚え書』(1963)、『第三の性――はるかなるエロス』(1965)、『奈落の神々――炭抗労働精神史』(1973) 、『からゆきさん』(1976)などを出版し、精力的な著作活動を展開した。なお、これら著作に所収されたエッセイを再編集・再構成した『精神史の旅 森崎和江コレクション 1-5』(2008-2009)も出版されている。


私がいま最も関心を抱き、(いまのところ)森崎和江の著作の核心部分に触れていると思われるのは、彼女の「精神史」という批評意識。
これはその副題にこの語がはじめて現れる『奈落の神々――炭坑労働精神史』の中で次のように用いられている。

奈落の神々 炭坑労働精神史 (平凡社ライブラリー)

奈落の神々 炭坑労働精神史 (平凡社ライブラリー)

 地下労働としての炭坑など、消え失せさせたいしろもの以外ではなかった。無残としかいいようのない収奪は、その草創期から最後まで収奪の質をかえつつ続いた。それは徹底した人間性破壊であった。そのことによって近代日本は開花したといって過言ではない。
 戦後、炭坑は労働様式が変化して機械の導入が徹底し、納屋制度はなくなって民主化していた。[…]明治・大正昭和初期の坑夫は「戦争のあとタンコウモンもつまらんごとなった誰も彼も会社員のげなつらになってしもうた。[…]」とよく話した。[…]
 […]閉山がうち続き、もはやヤマの精神を受け止める誰も確実にいなくなることがはっきりしたころ、その言葉は悲痛な響きを含んだ。それは生ま身で地下を体験した者の二度目の死のような響きとなった。
 それはひょっとすれば私が地下に描きえなかった人間――おそらく地下労働集団によってはじめて開拓され、そこにおいて共同のものとなって存在していた或る精神――の滅亡を恐れる声だったのではあるまいか。(『奈落』pp.14,15)

この失われゆく精神とその来歴を、森崎は聞き書きの中で見出していく。
 その聞き書きの中で描写されるのは、個々の坑夫の個人史を掘り下げていく中で見出された、維新以降の没落農民という出自、貧しい農村からさまざまな流転を経て炭坑に流れ着き、その後もいくつものヤマを転々とする坑夫たちの姿である。炭鉱労働者たちは日本の近代化を支えた賃労働の極北に位置したものたちであると同時に、「田舎で土地から切り離され都会へ出て労働者に」とのナラティヴにそぐわない、「田舎から田舎へ」という存在でもあった。実際に歴史が森崎の目の前で示したように、彼ら彼女らは「革命へと向かう階級意識の獲得」という物語からあらかじめ排除されていたのだった。壮絶な争議が大正から繰り返されていたにも関わらず。
 だが森崎は、革命へ向かう疎外論からすらも疎外され、合理化と「エネルギー革命」により失われつつあった人たちをただ記録し残すことのみに専心したのではなかった。彼女の慧眼はそれを女性たちの視点から描いたことと、「奈落」で醸成される「地下の精神」を米や農業を「原風景」と捉えそこに「日本」を見出す「地上の精神」と対置したことにある。と思う。
 森崎は労働者(潜在的な革命主体)=男性との前提を、女性の炭鉱労働者に焦点を絞った聞き書きを行うことできっぱりと批判し得ている。さらに、そこで見出される「女性」なるものを男性との対置においてとらえるのではなく、集団内部にいくつもの分断線を持ったものとして提示している。ともに炭坑で知り合った「生んだ女」と「生まない女」の往復書簡の体裁をとった『第三の性』はその分断とつながりの双方を、両者間に見出される暴力と痛みを前景化しつつ描き出している*2

第三の性―はるかなるエロス (河出文庫)

第三の性―はるかなるエロス (河出文庫)

 森崎のもう一つの独自性である「地下の精神」はさらに興味深い。前述したように森崎は聞き書きを通して、多くの炭鉱労働者たちの個人史の中に農業からの没落と農村地帯からの離脱を読み取っている。その際、彼ら彼女らが炭坑に求めたものがはっきりと描かれている。たとえば『まっくら』のこの部分。

あかい煙突めあてでゆけば/米のまんまがあばれ食い
炭鉱には、ふとか煙突がたっとるけんそれをめあてに行きさえすれば食われんこたぁなか。

ここで明らかにされているのは、農村から切り離され都会ではなく炭坑に向かった者たちが求めたものとしてのコメだ。だがこの「コメ」のイメージは次のような個所にさらなる重要性を持って現れている。『奈落』の「米のちから」というセクションの末尾。

わたしは借金して、借金を返すために、一時の腰かけのつもりで出てきた。そして努力して借金を返すことができたので、自作農をしようとしたが、昭和一六年、戦争で国家総動員法だから帰さんという。ヤマは入坑状態はわるく警察なんかなんとも思っとらんので憲兵が来ていた。昭和三年からしんぼうして、やっと田畠が自分のものになったのに、いざ帰って百姓しようと思うのにいなしてくれんとじゃ。人に頼んで小作してもらいよるだけじゃ。わたしは百姓が一生の目的じゃった。じゃが、やむをえん。帰ったら徴用で呼び出すという。そして勝つ勝つといい、負けた。わしは不在地主ということで、土地は小作人のものになってしまった。その補償はなかった。(65)

この証言者は米をはじめとする農業から切り離され、米を求めて炭坑に行き自身の「一生の目的」を達成するために炭坑労働に耐え抜く。彼を炭坑に向かわせたのも、炭坑に留めたのもコメであった。そしてその彼の思いを利用したのが日本政府であった。森崎は違う個所でこうも述べている。

石炭にいどむその[炭坑労働者たちの]全身は地上の文化――明治維新であり近代国家建設であり資本の蓄積であり国力増強でありアジア支配であるところの意思――によって間断なく支配され強要され、あたかも機能の化石のように見えてくる。(『奈落』12)

近代国家建設の礎に、いやむしろこう言ってよければ人柱にされた炭坑労働者たち、は「地上の文化」=米=農業(「天」皇あるいは「天」子なる語を思い出してもいいかもしれない)に支配されながらも、生き生きとした「地下の文化、精神」を湛えていたのだ。森崎にとって炭坑労働者とは近代国家建設ひいては高度経済成長の裏側であり、都会の労働者「階級」の裏側であり、さらに「地上の文化=コメ」の裏側でもあったのだ*3

 革命へといたるとされる労働者の外部として田舎から田舎へヤマからヤマへと流浪を続ける労働者、女坑夫への注視とそこにある看過しがたい分断、そしてコメ的日本あるいはコメ農業を日本文化の中心に据えるイデオロギーへの痛烈な批判。これら森崎独自の視点が『サークル村』が終わってからすぐの著作に見出されるのだから、むしろこの問題意識は『サークル村』および『無名通信』の活動時期から醸成されていたと考えるべきだろう。あるエッセイでは当時を回顧してこう述べている。

 私は当時まだ幼かった私の二人の子とともに、子共らの父親のもとに行ったり、雁さんに呼び出されたりして往来していた。軒を並べていた英信さん夫妻がなにかと心あたたかく私たちをつつんでくださった。植民地で生まれ育った体験が鉛のようにくいこんでいて、サークル村会員が評価する日本の体質に或る欠陥を感じていた私は、孤独な心を抱いていた。雁さんはこの宣言を書くかたわら、たきぎを割ったり私の子供をねかしつけたりしながら「君は日本を知らんからそんな下らんことをいうけど、例えば阿蘇では…」と話した。また、かまどをめずらしがる私の前にかがんで、もはや私は忘れてしまったけれど、なんでも「はじめはポタポタなかポッポ云々」といって米をたいた。私は、何はともあれなじまねばならない、この日本に…と燃える火をみつめた。民衆のこの火が朝鮮半島を焼いたことを考えながら。
 そんなふうであったから、私のサークル村での位置は、その主流をなすものとどこか表裏をなしていた。そのことが私をこの運動から離れがたくさせた。(「『サークル村』創刊宣言」、『コレクション2』p.97)

上記、坑夫たちの精神史を探る中で森崎はサークル村の中に「或る欠陥」を見出していたのだった。それは一言でいえば出自の差異であり植民地の経験に対する態度の差異なのではなかったか。それが、百姓から坑夫へというナラティヴの重視とつながっているかもしれない。「日本を知らんから…」の直後に描かれている米を炊くという行為をここで見逃すことはできない。これに加えて、森崎の出自にかかわる幼年時代の記憶の描写において、米のイメージは特権的ともいえる重要性を持っている点にも注目しておきたい。

私が植民地下の朝鮮で抱いていたような緊張感が内地では消えた。農を生きる人々にとりかこまれている私の、その恥部さえ、ここではうすれるかに感じられた。今にしておもえば、米をつくりつつ小米さえ食べ兼ねた朝鮮の農民とその子らのまなざしが、私をゆさぶりつづけていたのかもしれぬ。それは今なお日本の外から伝わってくる。(「ひそかな田植え」(1975)『コレクション1』)」

ここにきて明らかになるのは、森崎の独自の論点を形成する問題意識の、その革新に、個人的な経験(コメ、地上の文化・精神への批判的思い)が間違いなく存在するのであり、森崎自身、そのことに意識的であるということだ。
このあまりにも当たり前に思われるかもしれない点は、私にとってはとても重要だ。なぜなら私の(いちおう)専門であるポストコロニアル批評が、ある種の「政治的正しさ」の議論でもって受け入れられ、狭小な意味での「政治批評」なってしまっているように思われるいま、この個人の経験において社会や歴史について語る、という姿勢はとりわけ重要だと思われるからだ。もちろん、ここで想起すべきはウィリアムズが『都会と田舎』の序章および終章で繰り返し述べる「個人的経験」であろう。

そういった意味では『森崎和江コレクション――精神史の旅』の編集方法はとても興味深い。

森崎和江コレクション-精神史の旅 1 (1)

森崎和江コレクション-精神史の旅 1 (1)

これは炭鉱労働に絞れば森崎の代表作でありここまで見てきたとおり森崎の問題意識の核心が垣間見れる『奈落の神々――炭坑労働精神史』を覗けば、唯一「精神史」なる語が用いられている著作である。

炭坑労働者たちという対象を可能な限り深く掘り下げていくために森崎が用いた「精神史」なる語が、今度は森崎自身を自分で掘り下げるために用いられている。
(ここで、やはりサイードが『文化と帝国主義』で主に展開した批評方法である「対位法的読解」がその自伝『遠い場所の記憶』末尾で自身を描写するときに用いられている、という点を思い出す。)

文化と帝国主義1

文化と帝国主義1

遠い場所の記憶 自伝

遠い場所の記憶 自伝

そしてこの『コレクション』はその著述内容に沿って幼少時代の朝鮮での記憶からサークル村を経て炭坑労働者への聞き書きの時期、そしてそれ以降、と配置しながらも、所収されたエッセイの書かれた年代はバラバラに配置されている。したがって同じ章の中でも、語り口もスタイルも単語でさえもバラバラなエッセイがまとめられているのだ。「対象」に特化して読みたければ、バラバラの文体と成立年代に則して変容している論点を組み上げなおして読まなければならないし、年代ごとに順を追って読もうとすれば、章や分冊のあいだを大きくまたいで縦走的に読まなければばならない。けっして直線的に、言うなれば綜合的な「円熟」へと向かう物語として個々のエッセイを読んでいくことはできない。このありかたを森崎は「精神史」と呼んだのではないだろうか。

またここでもウィリアムズの議論を想起しておきたい。森崎の「精神史」という批評意識を考える上で、ウィリアムズ(とその影響を色濃く受けたサイード)の思想、とくに「回想の感情構造」を考えるのは、少々とっぴかもしれないが、無益ではないだろう。

田舎と都会

田舎と都会

いまわれわれが生きている世界では、生産と社会関係の支配的様式が、冷ややかな、孤立した、外的な認識(ルビ:パーセプション)と行動とありかた――人を受容しものを享受するというよりはむしろ人を利用し物を消費するというありかた――を教え、押し付け、さらにそれを正常なるもの、いや、変更の許されざるものにしようとしている。したがって回想の感情構造は、こうした特有な社会的歪曲への反応として欠くべからざる重要な意味を持つのである。


* * * * * * * * * * * 

寝る前の時間を使って、さくっと書くつもりが長大になってしまいました。
冗長ではありますが、お読みいただけると嬉しいです。

*1:これはたとえば『生きてるうちが…』でのいくつかのシークエンス(土中から這い出してきた泉谷しげる扮する原発作業員が北九州方言を話すこと、倍賞美津子たちが浜辺で歌う「もぐらのまつり」が北九州炭鉱地帯に起源をもつらしいこと)に着想を得ているし、開沼『「フクシマ」論』での炭鉱労働者の扱いやウィリアムズ『田舎と都会』への言及に触発されたものだ

*2:ちなみに森崎はいくつかのエッセイの中で、サルトルとともに来日したボーヴォワール(『第二の性』)と会食した際の二人の様子を描写しつつ、ボーヴォワールに対する控えめながらもはっきりとした違和感を述べている

*3:この点については網野善彦との異同を整理する必要があるかもしれない。森崎は27年生まれ、網野は28年生まれで、ほぼ同世代。ってか学年がいっしょ。

久々なのにお知らせ

絶賛、燃え尽き症候群ですが、予定は迫ってくるのであります。
しかもポイントは、燃え尽きていられるほど仕事終わらせていない、ということ。
嗚呼。

ひとつめ。
核エネルギー、文化、社会 合同合評会
今年、拙論を載せてくださった『レイモンド・ウィリアムズ研究第3号』と、『核エネルギー言説の戦後史 1945-1960 「被爆の記憶」と「原子力の夢」』の合評会を、原爆文学研究会のみなさまと行う、というもの。
とっても刺激的になりそうで、わくわくしておりまする。

核エネルギー、文化、社会

合同合評会


主催 レイモンド・ウイリアムズ研究会

共催 原爆文学研究会


日時 2012年8月31日(金曜日) 13:00~17:30 場所 関西学院大学 大阪梅田キャンパス 1406講義室

阪急梅田駅より徒歩五分 (http://www.kwansei.ac.jp/kg_hub/access/)


総合司会:河野真太郎

13:00〜13:10 開催にあたって(川端康雄)

13:10〜13:20 参加者自己紹介

13:20〜14:50 山本昭宏『核エネルギー言説の戦後史 1945-1960 「被爆の記憶」と「原子力の夢」』

         (担当者:川口隆行、西亮太)

14:50〜15:20 懇談(今後の合同企画について)

15:20〜16:50 『レイモンド・ウィリアムズ研究』第3号「特集 原子力、社会、文化」

        (担当者:柳瀬善治、野坂昭雄)

16:50〜17:30 総合討論(司会:大貫隆史)


連絡先:大貫隆史 takashimura8 アットマーク gmail.com

        (*アットマークは@に置きかえて下さい)

http://d.hatena.ne.jp/shintak/ からお借りしました)


ご都合のよろしい方はぜひどうぞ。


で、今後はもう少しちゃんとブログ書いていきます。はい。