Cultural Typhoon 2013に出ます

せっかっくなのでこちらでも告知を。
正直、私個人は大した発表ではないですが、一緒にやるパネリストたちがとても刺激的です。
ぜひとも、遊びに来てください。

わたしたちのパネルはこんな感じ。
http://cultural-typhoon.com/2013/panel/14th-july-sun-02/#panel-04
せっかくなので、要旨も。

抵抗の瞬間に立ち現れてしまう主体には、抵抗の対象と敵対的共犯関係を結び排他的暴力を胚胎する危険が常に付きまとう。本パネルでは「戦後」において固定的な関係に絡め取られた自己とは別様の在り方を希求したいくつかの経験を読み直し、その先に生きうる場としての「アジア」を想像する方途を探る。今津有梨は、森崎和江「二つのことば、二つのこころ」における「罪」をめぐる複数の情動について考察し、その変容をメランコリーと喪の内在的な関係性から検討する。松田潤は、1966年に沖縄中部の知花城で自殺した中屋幸吉の遺稿集を取り上げ、遺された者たちにとって「遺稿集を読むということ」が喚起する喪とメランコリーの問題について、主体の変容に着目して考察する。吉田裕は、中野好夫の「沖縄闘争」への参加とその帰結をとりあげ、罪責感という情動とその変容に焦点を当てる。中野のみならず復帰運動を支えた一つのモメントが罪責感だったとしたら、それは「日本人」ないし「沖縄人」という主体の境界画定といかに関連し、ジェンダー的な配置を準備し混乱させていたのかを精査する。西亮太はG. C. スピヴァクの「他なる複数のアジア」を手掛かりに、森崎和江が坑内労働の記憶に触れつつ描き出した「地下の精神」とそこにみられる「東アジア」を考察する。なお本パネルは「世界文学」を再考し、その現状を鳥瞰する本質的拠点として目取真俊を扱うマニュエル・ヤンとの合同パネルとなる。


で、これは同日午前のパネルと連動しております。
http://cultural-typhoon.com/2013/panel/14th-july-sun-01/#panel-06


ちなみに、私の発表はこんな感じです。
イントロ部分だけ、ちらっと。

  「抗いの手前で――「アジア」への/からの脱出」。なぜ、1950〜60年代なのか。私の場合にはこれに70年代が含まれますが、なぜこの時代なのか。そしてなぜ「アジア」なのか。この時代設定に関しては、2011年3月の大震災と原発での事故が大きく影響しています。この震災および事故が露呈させた問題を考えていく上では、原発の導入期である50年代から現在への道すじを、選択されなかったものを含めて改めて検討する必要があると考えました。そしてこれはなぜ「アジア」なのかという問いの応えとも呼応します。原発の日本への導入が冷戦構造下での日米二国間での戦略的関係性と密接に関連していたことを鑑みれば、当時の国境線で区切られた日本という地理的実体を越え出た沖縄、朝鮮半島、中国などが言及されないことは不可能だと言えます。朝鮮戦争を思い起こしておく必要もあるでしょう。ですがわたしたちは、日本の西側に位置する大陸の西岸を除いた地理的実体、という意味でのみ「アジア」を問うことはできません。「アジア」なる語の出自を詳らかにするまでもなく、この記号は常に「中心」から外れたところとして意味付与の対象を構成し、それを「中心」との非対称的な二項対立関係に固定した上で「他者」や「後進地域」あるいは「自然」、さらには「女性性」などといった価値判断や意味、あるいは政治的文化的エクスキューズを自由に付け替える機能を担ってきました。これにさらに、「中心」からの固定的視線を保持したままで抵抗主体としての「アジア」を想起する、政治的には真逆であってもそれまでの関係性を秘密裡に保持したままの、抵抗言説、解放言説を加えても良いかもしれません。
  とはいえ、この「アジア」という語を先ほど説明した事情から、これを完全に棄却すべきだと主張するつもりはありません。このパネル全体に通底することでもあり、また、私の発表では特に強調されることでもあるのですが、むしろ「アジア」を積極的に(必ずしも肯定的にという意味ではありませんが)考えてみたいのです。この慣れ親しんだ「アジア」なる語とそこに付随する政治的文化的機能は、たしかに論理的に考えれば荒唐無稽で手あかにまみれた唾棄すべき遺物なのかもしれません。ですがこの語を拒絶する身振りをして見せたところで、安価な労働力を求めた「アジアへの脱出」が行われている状況も、新移民のエリートたちがネイティヴ・インフォーマントのアウラを携えて世界の「中心」あるいはメトロポリスへ向かって「アジアから脱出」しているという状況も、変わりません。むしろ、今もってその指示機能の乱用が継続される「アジア」なる語を、その意味作用の射程もろとも捨て去るのは、そこで隠蔽され代理表象されているなにがしかを想像する契機を放棄することにはつながりはしないでしょうか。そしてその身振りは安価な労働力に依存する経済構造の隠蔽に加担することになるのではないでしょうか。「アジア」なる記号の担う暴力性への批判が必要なのは疑い得ませんが、その記号自体の廃棄は、それが可能であったとしても、同時にその記号の対象とされるものへと想像力を働かせる基盤をも失うことになりはしないでしょうか。
  本発表では、これまで良かれ悪しかれ慣れ親しんできた「アジア」なる語(これは、繰り返しになりますが地理的実体と連関するものでありつつも、その地理的実体そのものとは区別しておく必要がります)にいくつかの議論を接続することで、少々異常で怪しげな、そして願わくば不気味な「アジア」が立ち上がる可能性を探ります。まずは50年代〜60年代にその幕引きを加速させた炭鉱産業およびそこでの労働運動に深く関わった森崎和江の70年代までの議論を概観し、彼女の議論に見いだせる問題点と可能性を「アジア」を鍵語に整理し、これをグローバリゼーション下の現在において介入の起点とするために、G.C.スピヴァクの議論の助けを借りようと思います。スピヴァクの議論を経由することで、もう一つ、問われるべき問いを考えることができます。なぜ文学作品を扱うのか?これについては発表の最後までにたどり着ければと思います。